風と緑

慌ただしい毎日を少しだけ忘れて、のびのびと綴っていきたいです

愛と信頼

信頼されているのか、利用されているのか、その違いはどこにあるのか。それは受け取る人の心にある。自分なんてなんの価値もない、そう思っていると、他人から利用されたと感じてしまう。自分は人に何かを与えられる、そう思えれば、人から信頼されていると感じることができる。信頼されていると思っていたが、実は利用されているだけだった場合は?それは自分が見返りを要求していたということだ。自分のことを信頼できる人は、他人のことも信頼できる。自分が与えた、そこで終わり。与えっぱなしで、後は放っておくこと。与えることのできた自分は素敵だなあ。そう思っていれば良い。

与えることができた。それは愛の仕事だ。罪悪感や、自己犠牲の精神は捨てること。君がハッピーならそれでいい。みんなに対して与えていこう。ただし、嫌だな、と思うことはやらないこと。無理していい顔しないこと。続けていると愛がなくなるからね。

そして、人から愛が注がれた時は、惜しみなく受け取ること。心を全開にして、相手の好意を受け取ること。それで全てが循環していく。愛し、愛され、受け取る、受け入れる。愛は奪いとるものではなく、与えるもの。そして、受け取るもの。

執着しない

自分は執着性格なのだろうか。しかし、終わった事、変わらない事をいつまでも悩み続けるのは、自分でも馬鹿馬鹿しいと思う。

執着しないために、苦行を行う必要はない。悟りを開かなくてもいい。いつでも、何があっても自分の感覚、感情に敏感であること。自分の感覚、感情を尊重すること。それは自然でいるということだ。

真面目をやめてもっと自由に生きたくて、悪くなるにはどうすればいいのか、真剣に考えていた。だけど、別に悪くなる必要もない。自分が自然でいられるように振る舞えばいい。やりたくないことはやらない。罪悪感や後悔を感じるようなことはやらない。楽しめること、気持ちのいい事をたくさんやる。

自分の心に耳をすませる。もしもし自分、あなたは何がしたい?

静かに穏やかに、健やかに楽しく、のんびりと笑って生きたい。悲しいことは好きじゃない。悲しんでいる人、怒っている人を助けることはできない。

他人の課題は解決できない。ごめんなさい、感情の面倒は見れない。自分の気分を優先する。これが自分を大切にするということなのだろうか。少しずつ分かりはじめている。

誠実

楽器も弾けず、絵を描く道具もないので、文章を書いている。物語なのか、エッセイなのか、詩なのか、書きたいものは分からない。ただ、テーマがあり、形になった文章になっていれば良いと思う。

自分の悩みはミッドライフクライシスなのだろうか。だとすれば、今は成熟の時期ということになる。精神の成熟と、ビジネス、その両方を成し遂げなければいけないのが、辛いところだ。自分の抑圧していることに気付かず、一生を終えられたら、幸せだったのかもしれない。幸せな人生とは、なんなのか、よく分からない。

誠実さ、というキーワードを得た。他人に対して誠実であろうと努めたつもりだったが、自分自身に誠実な生き方をしてこなかった気がしている。他人の顔色を伺って、ありもしない要求を感じ取って、適応しよう適応しようと、自分を偽りすぎてしまった。我慢して、抑圧して、きちんと伝える事をせずに、関係を断絶して、そんなことばかり繰り返してきた。

もっと自分の心に耳をすませて、自分を大切にしてやればよかった。自分に誠実にできて、初めて他人にも誠実になれるのだろう。誠実であるとは、他人を認める、尊重するということなのではないか。ありのままの相手を認めること、ありのままの私をきちんと伝える事。

これからは、自分の心に耳をすませて、何がしたいのか、どう生きたいのか、考えてみたい。分かり合えないかもしれないが、伝える事を放棄しないようになりたい。

爽やか

他人が不幸でも、意地悪でも、卑怯でも、ずるくても、依存的でも、敵対的でも、自分のことを認めていなくても、許せなくても、仕事がきつくても、友達がいなくても、いても、孤独でも、なんでもいいよ!

自分自身だけ、とにかく自分自身だけが明るく爽やかであればいいのだ。爽やかに生きる、そんで死ぬ!

それしかないんだ結局は。

俺の意識は嘘ばかりつく

俺の言っていることは、大抵が嘘だ。俺の言葉は、嘘ばかりだ。俺の意識が、嘘をついているから。

俺は他人を馬鹿にしている。誰のことも大事とも好きだとも思っていない。いや、それは嘘だ。自分が大事にされたいし、好かれたいんだ。

馬鹿な連中が、馬鹿みたいな生き方してるとしか思ってる。自分のことを高尚な人間だと思いたいからね。なぜ高尚な人間になりたがる。怖いんだ。人と世間が怖いんだ。他人の価値観に対して、「教養」「高尚」なんていう価値観で、抵抗しなければと思っているんだ。

自分は馬鹿だ。弱虫だ。自分のことを馬鹿にしてるし、嫌ってる。自分の人生と現実が大嫌いなんだ。ありのままの自分を愛すること、受け入れることができないんだ。

愛とは何か。理解することだ。受け入れることだ。自分の理想と合致しているもの、自分の理想を脅かさないものだけを愛する、そんな風にはいかないんだ。

いま目の前の、俺の人生、俺の現実。評価する必要なんてない、ただ受け入れるだけだ。

海中に沈んだ都市が、徐々に浮かび上がってきて、見えなかったその全貌が見えるようになってきている。深いところから無意識を引っ張り出して、白昼堂々晒してやりたい。のたうちまわる深海魚。本質は醜悪でも美しくもない。ただそこに、意味を持たずに転がっているだけ。丸ごと全部自分なんだ。

Dark side of moon

ピンクフロイドの狂気を聴いている。今時こんな音楽を聴いているのは時代遅れにもほどがあるだろうか。しかし、ピンクフロイド好きなのですよ。

と言いつつ「狂気」は何度聴いても良さがよくわからないんだよなあ。なんというか、曲調がキャッチーで、普通のロックアルバムなのでは?と感じてしまう。B面のUs and then からの流れは好きなんだけど…。

キャッチーなのにコンセプチャルなのが良いのかな?

ピンクフロイドで好きなのはザ・ウォール。暗くて暗くて、とても良い。特にComfortably numbが最高に好きなのだが、もしかしてギルモアが好きなのかなあ。

"Comfortably Numb" solo - David Gilmour, Royal Festival Hall - YouTube

普通の人生

仕事や人生について悩むことがあるが、この悩みは僕に固有の悩みではなく、年齢によってありがちな悩みなのだろう。人の悩みは、その人に固有の悩みではなく、年齢によってありがちな悩みなのではないだろうか。

現代は先の見えない時代、かつてない混沌とした時代のような気もするが、おそらくそんなこともないのではないか。世界はいつだって混沌としていたのではないか。

人間の本質は変わらないし、人間の世界で起こる出来事、私の悩みも、もう幾度ともなく繰り返されてきたことなのかもしれない。