風と緑

慌ただしい毎日を少しだけ忘れて、のびのびと綴っていきたいです

仲良くしろ!

仲良くしろ!

えーやだよだってめんどくさいじゃんてか知らねーし。

さっさとかえりてーし。

だりーしねみーし。

やりたくねーよ。

そう、俺はやりたくねーんだよ基本的に、そんな前向きとかないから。

人と接するのが苦手って別に自意識過剰で内向的なわけじゃねんだわ、お前に気を使うのがめんどくせえんだわ。

めんどくせえ。

知らねえ。

別に態度に出さねえってか、もしかしたら態度に出てんのかも知んないけど、めんどくせえんだわ。

会話が面倒、相手の気持ちなんて知らんし。

ほっといてくれや。

放っておいてくれって気持ちがつええ。

やることやってんだからいいだろめんどくせえ。

でもまあ、めんどくせえからっつって人と接しないと俺が損するのはやなんだよなあ。

めんどくせえってのはつまりなに、相手に失礼がないか、相手を困らせないか、傷つけないか、って考えてるってことだな。

過剰に気にしてるんだな。

自分がどう見られるか、というより、自分が相手を怒らせないかってことを気にしてるんだなー。

うーん。

怒ったら怒ったでいいのかな?

俺も怒ってるし。

波風立たない=いい関係 ではないのかな?

意味のあることばかりやろうとすんな

お前らはほんと意味のあることばかりやりたがるなあ。

意味なんてねえんだよ。

意味なんてねえから。

仕事にも人生にも何にも意味なんてねえよ。


お前らはほんと正しいことをやりたがるなあ。

正しさってなに?って話ですけど、あれですね、今気付いたんですが、日本人にとっての正しさは、世間やその集団のルールから逸脱しないこと、欧米の場合は善悪ってことになるんですかね。知りませんけど。


集団ねー、集団、集団には参加しないですよ。

知りませんからね、私は。

他人です、と言う気持ち、を持っていたいですね。

なんで?

そんなの責任取りたくねーんだよ俺わ!

面倒なことは避けまくりたい!!!

そう思って生きてますよ。

でもいいんですよ。

他人に後ろ指刺されても、俺が自由に楽しく生きるのが一番大事なんすよ。

そんでどうこう言うやつなんて俺の味方じゃねえんだから知らねーよって言う話なんですよ。

別に攻撃したりはしませんけど、どっか行ってほしいですよ。

暗黙のルールは無視しましょう。と言う話ですよ。

いや、私だって一応社会人ですからね、基本的に常識的な振る舞いはしますけどね。

でもまあ、あれなんですよ、嫌われても文句言われてもいいからめんどくせえことはやらないで生きたいんすよ。

てか生きるし!


こっから下は追記

てか、今気付いたんですけど、その昔わたしに「まわりが見えてない!」とか「空気読もうよ」とか言ってきた人たちがいたけど、そう言う人たちも我慢してたんすね。私は我慢してんのにあんたも、我慢しなさいよって話なんですね。今わかりました。


そして、そんなやつはもうどうでもいいんですよ、今の私には。

お前の我慢なんて知らんが?

という感じで、俺は俺が楽になりたい。

俺の自由を制限しようとする奴は、とかっつって、そんな奴らがなにができるって、文句言うことぐらいですよ。面と向かって文句ゆったり、陰口ゆったりするくらいですよ。

言われたなっつってそんで終わりですよ。

言いたいことが山ほどあんだわ

言いたいことが山ほどあんだわ。

でもそれが何だかわかんねんだわ。

別に文句が言いたいわけではねんだわ。

もしかすると言いたいことがないのでは?と思うけど、いや言いたいことはあるんだわ。

ただそれは意見ではないんだわ。

別に意見があるわけではねんだわ。

つまり、排泄物なのかもしれないね。

うんちとか、○○○とか。

出したいんだわ、多分ね。

でも意見ではねんだわ。

何でもいいんだわ。

つまりエネルギーってことなのかな?

なんか出したいのかな?

出したいってことにするかな?

自信ないけど。

自信がなくなってきたけども。

出したい?かな?


出したいって思うんなら出したらいいんだわ。

出したいって認めるだけでもいいのかもしれないけど。

とりま出してみるのもいいんじゃないかな。

うんちを。プリプリと。

プリプリなんてそんなかわいい音ではないかもしてないけど。

もしくはピュッと出す。

ピュッなんてそんなかわいいらしい量ではないかもしれないけど。

なんか言いたいんなら出した方がいいんだわ。

なんなんですかね。

でもちょっと気持ちいいかもしれません。

出すのは気持ちいいんですね。

ダラダラやるってのがいいのかもね。

排泄し続ける。

Like a ジジイのしょんべんみたいな。

まあいいや、これは直さないよ。

なぜかって言うと出したからね。

出しまくるだけでいいのかもね。

露出狂です!助けて!

という、感じなのかもしれないですね。

僕は文章なんてどうでもいいと思ってるので簡単に出せますね。

でも多分あれだな、絵とか音楽とかでもいいんだな、出すのは。

こだわりなく出していく。

文章はいいっすね。形になるから。

一応の完成形が見えるってか、とりあえずなんとかなる気がする。文章は。

絵とか音楽は、どうなんだろうね。

おんなじなんだろうね、多分ね。

完成ってなにって話ですよ。

完成なんてないんですよね、人生みたいですね。流れ、みたいなことですかね。

プロセス、フロー、つまり動きってことですかね。

完成させることには対して意味がなくて、行動?

つまり、これってスポーツ的な意味合い?なんですかね。

書いてると出てきますね、意味が。

意味がないと思ってた文章ですが、やってると、てのは書いてるとって意味ですが、意味が出てきますね。

なにが言いたかったのかわかる、ではないな。

別に言いたいわけではないけどなんか出てくるってことだね。形が。

つまり、出せばいいってことです。

完成なんてどうでもいい。

なぜなら行為が大事だからってことだね。

やべーよ無限に書ける。

無限に書ける気がするけどやめ時がわからなくて怖い。

気がすむまで書くか。

なんで怖いっていうと人が読んで「うわ、なにこの変なダサい文章!?」って思われないか不安になってるってことだな。

つまり人目を気にしているってことだ。

これも今気づいたことですが、人目を気にしている!のだね!

自分は人目を気にしている!

びっくりしましたね。

いいこと言おうとしちゃうんだね、それだけ頭の中に他人がいる、ってかこう言う言い回しがスムーズじゃないですね。

カッコつけたうんち💩


💩💩💩


意図的に文章を💩にする試み。

放っておくとすぐに体面を整えようとするんだな。

それがよくわかったよ。


プリ💩

暗い妄想から抜けて

なんでこんなにやる気がねえんだろうな。主体性もないし、人と関わりたくもない。本音を隠してるからそういうことになるのかなあ。思い切って本音を出してみなよ。どんな風に行きたい?

そうだなあ、金がどこからか湧いて来て、寝たい時に寝て、起きたい時に起きて、腹減ったら食いたいもの食って、ゴロゴロして、出掛けたくなったら出掛けて、遊んで、テキトーに暮らしたいね、テキトーに。

じゃあ俺にとって友達や、家族って何のためにあるの?

まあ、ぶっちゃけると飾りだな。ブランディング?友達がいる人と思われたい、まともな人だと思われたい、そういう箔を付けるためだな。でもさ、俺がこういう人間だって知ってただろ?てか、お前らもそうじゃないの?何で人と付き合うの?

「いや、そんなこと考えてないけど。普通に人間と付き合ってるんだから、一緒にいる人たちに対する思いやりとか、何かしてあげたいとか、役に立ちたいとか、協力したいとか、仲間意識とか、そういう思いで付き合ってるけど…。」

今まで、他人は他人を冷たく利用するだけで、そこに思いやりや、優しさがあるとは、想像もしなかった。人と話さずに、人は冷たいと、思い込んでいた。でも、多分、違うんだな。どんな人の中にも、優しさや、思いやり、繋がりを求める心、信じる心があるんだな。

気付かなかった。暗い世界にはまり込んで、人間の明るい側面を見ようとしていなかった。頭の中の暗い妄想に支配されていた。

どんな人の心の中にも、思いやりや、優しさはある。不信感を手放して、繋がっていける気がする。

攻撃性

面倒なことはしたくない。努力したくない。自分から人に関わっていきたくない。なぜなら、関わりが発生した後の、人間関係のメンテナンス、ケア、相手にいい顔をし続けなければならず、疲れるからだ。ということは「自分は相手にいい顔をしなければいけない」と思っているという事だ。

いい顔の仮面の下には何があるのか。本当に裸になったら、どんな感情が出てくるのか。もしかしたら、攻撃性が出てくるのかもしれません。横暴で、攻撃的で、他人を物のように扱い、支配する、ねじ伏せる、攻撃する、そのような攻撃性を抑圧しているのかもしれません。

攻撃性を抑圧しているとしたら、どうやって抑圧をやめて、適切な形で攻撃性を発散していけるのだろうか。

自由

罪悪感を感じる必要はない、ここにいてもいい、好きにしていい。他人はそんなことで自分を見放したりしない。

働かなくても、話さなくても、遊んでも、寝転んでも、出かけても、気にしなくても、忘れても、笑っても、いじわるしても、ジャンプしても、走っても、飛び出しても、投げつけても、何をしてもいい!

心の底

自分には自己愛しかありませんでした。プライドだけ高く、何もできないのに虚勢を張り、傷つきやすく、常に比較していました。ナルシストですが、力のない、ネガティヴなナルシストとでもいいましょうか。勝てないくせに、自分の中でルールを変えることで、なんとしてでも勝とうとしていました。

自分は助平でした。自分はあわよくば、愛してもらえるのではと、あわよくば自分を満たせるのではと思っていました。手に入れて、取り込んで、支配したいと思っていました。

私は他人を支配したいと思っていました。他人が私のいうことを聞かなかったり、私を傷つけるのは許せませんでした。私の頭の中の脚本に、他人を縛りつけようとしていました。私の心の中には、他人をねじ伏せたいという気持ちがありました。

私は怒っていました。他人が自分に便宜を図らないから、他人が自分のことを特別だと思わないから、怒っていました。私はとんでもなく我儘でした。

私は勇気がなく、卑怯でした。怒った時、不満に感じた時、その感情を相手に伝えず、黙っていました。怒ること、怒りを表現すること、伝えることが、勇気がなくてできませんでした。受け入れられるのか、受け入れられなかった時のダメージを想像して、チャレンジしませんでした。その結果、怒りは消えず、精神を追い詰めました。

私は、私のことを認めてくれない人たちの中で、ずっと過ごしていました。私の欠点を見つけ出し、傷つけ、エネルギーを奪い続けるような人たちと一緒にいました。