風と緑

慌ただしい毎日を少しだけ忘れて、のびのびと綴っていきたいです

人に影響を与えたくない、と思ったけど、いい影響なら与えてもよいのでは?

f:id:airport8:20160915222404j:image生きているだけで誰かに影響を与えてしまう。だったらよい影響を与えた方が良くないか?別に大したことをしようってわけじゃないんだよ。なんかこう、前向きに仕事に取り組むとか、やってもらったことに感謝するとか、そういうことでいいと思うんだよな。1日1個ギャグを言うとかさ笑
でもって、まあ、なに?その瞬間、そこには花が咲くわけじゃないですか。喜びみたいな花がね。そんなもんでいいんじゃないですか?

慈悲の瞑想

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慈悲の瞑想を行ったところ、ちょっとしたブレイクスルーを感じたのでメモ。

 

私は、独立した「私」として、存在しているのではない。私は全体の一部として、この世に存在している。だから決して孤独ではないし、皆と繋がっている。繋がりあっている皆の幸福を願って生きていきたい。明るく朗らかに皆と接し、楽しく生きていきたい。世の中のみんなが大丈夫だし、自分自身も大丈夫だ。

 

私は一人で存在しているわけではない。私は皆と繋がっている。家族、友人、同僚、すべての人、動物、植物、すべてと繋がっている。すべての人に愛をもって接する。すべての人に慈しみをもって接する。私は一人で生きているのではない。私はすべてと繋がっている。

 

風が吹き抜けるような心

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私はあなたの感情をケアする必要はない。私はあなたの願望を叶えられない。彼らの問題に巻き込まれる必要もないし、解決する必要もない。

 

心の中を風が吹き抜けるように生きていきたい。こだわらず、とらわれず。笑いながら。やってくる出来事をただ受け入れ。荷を背負いながらも、朗らかに。足取りは重く、心は軽く。青空を風が吹き抜けるように。

 

どんな出来事も喜びだし、どんな出来事も幸せだ。自分が人生で出来事に出会うのではなく、やってくる出来事それ自体が、自分の人生なんだ。

いつか

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他人の不幸を背負う必要はない。

他人の気持ちを分析しなくともよい。

少しずつ、自分の気持ちを表現できるようになっていきたい。

最初は不器用だろうけど、今からでも遅くない。

いつか、全てを受け入れられるまで。

 

あなたと私は赤の他人、だが、ともに生きる世界の一員である

人は人、それぞれ悩みや苦しみを抱えている。楽しそうな人、幸せそうな人、憎いあの人も、人には言えない苦しみや悲しみを抱えているのかもしれない。

 

悩み苦しんでいる人に、求められていると感じることがある。何か手助けをしたくなることがある。しかしそれは、私の心が作り出した幻、自分の心の投影かもしれない。

 

相手の心に侵入しなくともよい。相手を弱いもの扱いしなくてもよい。他人の悩みを解決することで、自分の価値を確認しようとしなくてもよい。

 

あなたはあなた。一人でもやれる。私は私、一人でもやれる。ただ、同じ世界の一員として、あなたとは無関係に、幸せに生きることができる。

成熟した人間は幼児に戻ると

別にきちんとした文章じゃなくてもいいんだ。俺の文章は論理じゃなくて感情なんだから。

 

結局全てが移り変わっていくし、全ての傷は癒えていく。完成された人間、成熟した人間は詩情なんて持てないのかもしれない。

 

ただその人の行いが、相手の心に前向きなエネルギーを与えるだけ。苦悩や思索の果てに諦念に辿り着き、思索と行動にズレがなくなり、周囲からはその人の内部に苦悩や思索がまるで無いように見える平坦な人間、行き着くところはそんなところかもしれない。

時間は存在しない

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時間は存在しない。30数年生きてきたが、「30数年」というかつて存在していた時間が、どこかに行ってしまった、消え去ってしまったわけではない。時は止まっていて、「今」という瞬間だけがあって、自分や世界が変化し続けているだけだ。未来についても同じだ。

 

若くして亡くなった命でも、「短い命」ではないのではないか。時が存在せず、流れていないのなら、一度存在として現れたものは、永遠に存在しているのと同じことではないか?