目覚めてから
朝起きた時、落ち込みがひどい時があります。この気持ちは何なんだろう。誰かに会いたい、誰かに甘えたい、そんな気持ちに近いかもしれません。結局寂しいのかもしれません。
寂しさを抱えているのは皆同じなのでしょうか。自分だけ特別な寂しさではないのでしょうか。こんな時は誰かに連絡したくなります。でも、そんな相手はいないんです。みんなもっと気軽に助け合ったり、愚痴ったりしているのでしょうか。自分はやはり「人に助けを求められない」のかもしれません。
もっと気軽に頼ったり、頼られたりできる人たちが羨ましいです。そうなりたいと思う反面、自分と彼らは別の人種なのかもしれないな、とも思います。
彼らから見ると、自分は壁を作って頼らない、打ち解けない、冷たい人間に見えるのかもしれません。いや、そう見えていてほしい、というのは、私の強がりです。でも、無理はいけません。
寂しさと上手く付き合いながら、無理のない範囲で、人と繋がりながら、ゆっくり生きていきたいです。
少しずつ
最近、人との距離の取り方が分かってきたような気がしているんです。今までは、自分の心の距離が相手に対して近かったんだと思います。すぐに相手に依存的になってしまうところがありました。でも、最近は、自分と人の間に、薄い壁のようなものを感じます。人との距離感がわかる、ということは、相手がどこまで自分に心を許しているのかを把握し、それを侵害しなかったり、または距離を詰めたり、離したりできる、ということなのかなと思っています。反対に、自分に対して距離を詰めてくる人に対して、距離をとったり、受け入れたりもできるということなのでしょうか。
それと、他にも気づいたことがあって、今までは、自分の悪いところ、自分の嫌いな部分に注目して「こんな自分はどうせ嫌われる」なんて思っていたんですが、裏を返せば、相手に100パーセント受け入れもらわなければいけない、または、欠点があってはいけないと思い込んでいたのかなと思っています。欠点があってもいいし、ダメでもいい。相手に欠点を許してもらう必要もないんですよね。ただ、自分が欠点を知っていればいいのかな、と思ってます。
誰に対しても、常に明るい気持ちでいることなんてできないですよね。ときには落ち込むときだってあります。でも、仕方ないんです。男らしくないかもしれません。暗いのかもしれません。でも、それが自分なんだから、諦めて、認めて、生きていきたいです。
無題
1日生きるだけで、精神が消耗する。仕事が辛いのでもない、人間関係が嫌なのでもない。自分自身が自分自身を追い詰める。自分自身へのダメ出しに疲れ果ててしまう。他人の思いやりの言葉も、罪悪感に変わる。他人から頼られることも、自分の気持ちを圧迫する。喜びも、楽しみも、全て悪いものに変えて受け取ってしまう。ひたすら自分を攻撃し続ける。誰からも愛されていない、誰もわかってくれない、そんな気持ちになってしまう。 人から親切にされたこと、優しくされたこともたくさんあったのに。人の優しさを見逃した、見ないふりをした。優しくされて喜んだりするなんて、馬鹿みたいだから。どうせ嘘に決まってる、そう思っていたから。そうやって、優しさを受け取らず、ここまできた。
何も与えたくない
好かれるよりも、嫌いになる方がマシ。好かれたらどうせ嫌われるだけだし、好かれても、期待に応えることもできないし。好きにならないでもらいたい。自分には何もできないから、面倒くさいから。がっかりされるのも嫌だから、近寄らないでほしい。 近寄らないでと壁を作り、相手を遮断した後で、相手が離れていくのが寂しすぎる。自分が嫌いになる。自分からは何も与えない、何も関与しない。それでも相手にそばにいてほしい。相手からは追われたい。自分からは出さない。 これが俺の正体なんだ。 絶望も自己卑下もしない。目を閉じて、思い浮かべて、眠るだけ。