風と緑

慌ただしい毎日を少しだけ忘れて、のびのびと綴っていきたいです

何をやっても責められるのだ

沈黙している者も非難され、多く語る者も非難され、少し語る者も非難される。つまり、世に非難されない者はいない。ブッダ

なぜこんなに仕事が多いのか。人に頼むべきことを頼めていないからだ。なぜ頼めないのか。相手の負担になるのではないかと思うからだ。なぜ負担を増やしてはいけないか。自分が楽をしている様な気がするからだ。

人に仕事を頼むのは、自分が楽をするためではない。本来自分が取り組むべき仕事に、全力を出すためだ。本来自分が取り組むべき仕事がある、つまり、自分には役割があるということだ。やるべきことをやる、自分本来の役割を果たす。それは人に何かを与える行為なのかもしれない。人に影響を与える行為なのかもしれない。

もう、単純作業者ではないのだ。もう、子どもではないのだ。他人から与えられる段階は終わったのだ。自分が与える立場なのだ。

人に影響を与えるのがなぜ嫌か。自分が責任を負うからだ。なんの責任か。相手から責められるリスクを負うと感じるからだ。でも、責められるのが、なんだというんだ。行動しても責められるかもしれないし、行動しなくても責められる。行動しなければ失敗し、皆が不幸になってしまう。本当に、それで良いのか?