カクレミノ

慌ただしい毎日を少しだけ忘れて、のびのびと綴っていきたいです

映画「きみはいい子」を見ました

眠る前に、その日あった出来事や音声が、頭の中で自動再生される日がある。脳が出来事を処理しているんだろう。今日は、騒がしい子ども達の声が聞こえる。

きみはいい子、という、児童虐待をテーマにした映画を見たからだ。映画について少し書く。

一つの街で別々に起こる、子ども達をめぐる小さな物語。それぞれの子どもや、家庭の悩みが、周りの誰かによって救われていく。とても良い映画だった。

尾野真千子演じる、娘を虐待する母親。母親のヒステリーと、おびえる子どもの演技が迫真で、苦しくなる。虐待を行う母親も、傷を負っている。母親と子どもの、どちらにも共感してしまう。

高良健吾演じる小学校の教師。彼の恋人が登場する場面で、ヒップホップが流れていたのが、印象的だった。教師の顔と、若者の顔。先生も普通の人なんだよね。彼の受け持つ学級にも、虐待を受けていると思われる男の子がいる。

学習障害のある男の子と、認知症の老人の交流。障害や認知症を、純粋さと結びつけるのは、もしかしたら短絡的なのかもしれないが、仏壇の前で男の子が手を合わせる場面、そして、最後の「喜びの歌」に涙してしまった。

傷ついた三組の親子は、家族ではない「他者」によって救われる。こんな風に助けてくれる人が自分の周りにいたら、救われたのかもしれない。人を救えるのは、人しかいないのだ。

尾野真千子のママ友、池脇千鶴が言う「お節介なのかもしれないけど、言ってあげたいんだよね」が突き刺さる。境界線を乗り越えることは、ときには必要なことなのだろうか。

自分は、まだ、正しく境界線を越えて、人を救える人間ではない。自分が救えなかった、救わなかった、終わった関係の事を考えた。