風と緑

慌ただしい毎日を少しだけ忘れて、のびのびと綴っていきたいです

本当のこと

仕事をしたくない。努力をしたくない。これ以上、好きでもないことを学びたくない。遊んで暮らしたい。好きなことだけやって暮らしたい。人に合わせたくない。人の言うことを聞きたくない。自分のためだけに生きていたい。

俺は抑圧された人間ではない。ものすごく自分勝手で我儘な人間だ。あれも嫌、これも嫌、お前なんて知らん、俺様だ。

自分が3歳児だった。自分が子どもだった。本当の意味で他人に合わせることも、気を遣うこともできず、ただ形だけ従順に、人に逆らわず生きてきた。本当はちっとも従順でなかった。だから憎しみが積もり積もって、無気力になった。

俺は我儘だった。傍若無人だった。自己中だった。愛がなかった。協力がなかった。信頼もなかった。

これでは人と繋がれないのも当然だ。今になって、ようやくヒントが見えてきている。

チョコレートエッグ

仕事、家庭、友人、本当にこんなことがやりたかったのか。いやいや付き合う友達、いやいややってる仕事、無理矢理に納得させようとする。「俺はこの仕事が好きだから」「この人たちは友達だから」

そうやって自分の心が分からなくなる。こんなことをやっていても、自分の感情から遠く離れるばかりだ。「◯◯さんがそう言っているから」「自分の感覚はおかしい」

自分に誠実でないものは他人に対して誠実ではあり得ない。

嘘の自分、チョコレートエッグの殻だけがどんどん大きくなっていく。膨れ上がった殻を皆が評価する。みんなが俺の殻に声をかける。そんな人はどこにもいないのに。本当の自分は殻の中。干からびたレーズンみたいにちっぽけだ。膨れ上がった空洞の中で乾いた音をたてる。

楽しめるか

自分の心とつながっている。自分の感覚が分かる。自分の感情が分かる。でも、それは恐ろしいことでもある。今まで価値があると思っていたものが、自分にとって必要のないものだと分かる。興味がないのに、嫌いなのに、好きだと思い込もうとしていた。自分にとって大切なものではなかった。今自分の周りにあるものは、何もない。自分の周りに誰もいない。自分だけここにいる。

好きなことはある。それをして生きるのか。それが生きがいなのか。そんなことが許されるのか。楽しむことを許可してこなかった。楽しむことに罪悪感を感じる。そんなことをしている場合なのか。

誰のための人生なのか、会社のための人生なのか、家族のための人生なのか、世間のための人生なのか。

自分のための人生である。自分のためだけの人生である。責任と、楽しみを両立することができるか。本当にそんなことができるのだろうか。

一歩

私は私。あなたはあなた。私はあなたを助けられないし、あなたの感情には対処しない。

私の中にも、甘えたい気持ちがある。甘えて、怠けたい気持ちがある。甘えを一気に捨てて、自立したふりをするのはやめる。

私の心の中に、甘えたい、怠けたいという気持ちがある。自分の心を認める。今の自分を認める。自分は甘えたい、自分は怠けたい。他人と比べるのをやめる。これが今の自分。それ以上でも以下でもない。

静かに、落ち着いて一歩を踏み出す。現実の中に、ゆっくりと足を踏み出す。甘えを自覚しながら、今できることを、静かに行う。

好きなことがない、やりたいことがない、自発性がない。悩みは一瞬で解決しない。どうなろうとも生きること。目の前の現実を生きること。そこから人生がはじまる気がする。

酸っぱいブドウか

もともと他人に興味がないのか、認められない、好かれないから、興味のないふりをしているのか。興味のないふりをするのは楽だ。俺は嫌われても、仲間外れでも、気にしない、そう言って自分を守ることができる。

かといって、明るくいなければ、溶け込まなければと、好かれなければと演技したくない。自分を偽る生き方を続けた結果、完全に行き詰まってしまった。

自分に足りないのは、社会性かもしれない。好きだろうが嫌いだろうが、興味がなかろうが、社会の中で生きるためには、社会性、仮面、振る舞いが必要だ。自分を偽るためではなく、心を開くために必要だ。

数十年生きてきて、ようやくこんな基本的なことに気付き始めている。でもまだ遅くないだろう。死ぬまでには、気楽に生きられるようになっていたい。

好きに生きたらいいよ

自由に生きるということは、欲望を追求するということではない。欲望から離れることだ。かといって禁欲的に生きることではない。

他人にわがままを押し付けたり、無理やり自分を認めさせることでもない。かといって服従し、支配されることでもない。

空っぽになって浮かんでいるだけ。だけど流されることではない。好きでも、嫌いでもない。だけど無関心でもない。

好き、嫌い、無関心、敵、味方、上、下。それはただの言葉だ。

判断せず、眺める。 必要なら、伝える。

はしゃぐでもなく、悩むでもなく、とにかく軽く生きたい。羽のように、雲のように、空気のように軽く、漂いながら生きたい。

漂いながら、繋がりながら、自由に生きたい。

幸福

自分を幸せにしてくれない場所、幸せにしてくれない人を追いかけている。求めて、期待して、与えられないものに対して、怒り傷ついている。自分を軽蔑している人を、立派な人、価値のある人と思い込んでいる。

自分を幸せにしてくれる場所や人になぜ気付けない。愛していない、信頼していない、心を開いていないからだ。自分に何かを要求するでもなく、ただそこにいてくれる人達、彼らに感謝しているか。上も下も、勝ち負けもなく、笑って接してくれる人達に感謝しているか。周りにいる人たちを軽蔑していないか。

俺は本当に、取るに足らない人間だ。真にちっぽけな人間だ。ただここにいるだけの人間だ。そんな自分も、生かされているのに。存在を認められているのに。そこに気付ければ、道は開けるのではないか。

「今の自分をありのままに認めること」「自分を受け入れること」そうすれば楽になれるらしい。自分を受け入れる、とはどういうことなんだろう。考えることではなくて、行動することだ。周りにいる人達を軽蔑しないことだ。人の純粋さ、思いやり、ほんの少しの親切、優しさに気付くことだ。