風と緑

慌ただしい毎日を少しだけ忘れて、のびのびと綴っていきたいです

なんとかなる

まあ、なんとかなりますよ。大した問題なんてないですからね。嫌われた?まあいいじゃないすか。会社に居場所がない?まあいいじゃないすか。家庭不安?まあいいじゃないすか。大したことないですよ。なんとかなる。まあ、なんとかなりますよ。大した問題じゃないですよ。まあ、なんとかなりますよ。

目覚めてから

朝起きた時、落ち込みがひどい時があります。この気持ちは何なんだろう。誰かに会いたい、誰かに甘えたい、そんな気持ちに近いかもしれません。結局寂しいのかもしれません。

寂しさを抱えているのは皆同じなのでしょうか。自分だけ特別な寂しさではないのでしょうか。こんな時は誰かに連絡したくなります。でも、そんな相手はいないんです。みんなもっと気軽に助け合ったり、愚痴ったりしているのでしょうか。自分はやはり「人に助けを求められない」のかもしれません。

もっと気軽に頼ったり、頼られたりできる人たちが羨ましいです。そうなりたいと思う反面、自分と彼らは別の人種なのかもしれないな、とも思います。

彼らから見ると、自分は壁を作って頼らない、打ち解けない、冷たい人間に見えるのかもしれません。いや、そう見えていてほしい、というのは、私の強がりです。でも、無理はいけません。

寂しさと上手く付き合いながら、無理のない範囲で、人と繋がりながら、ゆっくり生きていきたいです。

少しずつ

最近、人との距離の取り方が分かってきたような気がしているんです。今までは、自分の心の距離が相手に対して近かったんだと思います。すぐに相手に依存的になってしまうところがありました。でも、最近は、自分と人の間に、薄い壁のようなものを感じます。人との距離感がわかる、ということは、相手がどこまで自分に心を許しているのかを把握し、それを侵害しなかったり、または距離を詰めたり、離したりできる、ということなのかなと思っています。反対に、自分に対して距離を詰めてくる人に対して、距離をとったり、受け入れたりもできるということなのでしょうか。

それと、他にも気づいたことがあって、今までは、自分の悪いところ、自分の嫌いな部分に注目して「こんな自分はどうせ嫌われる」なんて思っていたんですが、裏を返せば、相手に100パーセント受け入れもらわなければいけない、または、欠点があってはいけないと思い込んでいたのかなと思っています。欠点があってもいいし、ダメでもいい。相手に欠点を許してもらう必要もないんですよね。ただ、自分が欠点を知っていればいいのかな、と思ってます。

誰に対しても、常に明るい気持ちでいることなんてできないですよね。ときには落ち込むときだってあります。でも、仕方ないんです。男らしくないかもしれません。暗いのかもしれません。でも、それが自分なんだから、諦めて、認めて、生きていきたいです。

無題

1日生きるだけで、精神が消耗する。仕事が辛いのでもない、人間関係が嫌なのでもない。自分自身が自分自身を追い詰める。自分自身へのダメ出しに疲れ果ててしまう。他人の思いやりの言葉も、罪悪感に変わる。他人から頼られることも、自分の気持ちを圧迫する。喜びも、楽しみも、全て悪いものに変えて受け取ってしまう。ひたすら自分を攻撃し続ける。誰からも愛されていない、誰もわかってくれない、そんな気持ちになってしまう。 人から親切にされたこと、優しくされたこともたくさんあったのに。人の優しさを見逃した、見ないふりをした。優しくされて喜んだりするなんて、馬鹿みたいだから。どうせ嘘に決まってる、そう思っていたから。そうやって、優しさを受け取らず、ここまできた。

あきらめる

他人から見れば、満ち足りた暮らしをしているように見えるかもしれないが、どうしても満足することができない。欲張りなのか、プライドが高いのか、自分が一番でなければ気が済まないのだろうか。あいつよりも俺の方がマシ、お前なんてダメな奴、そうやって他人を測って、切り捨てているのだろうか。自分のコンプレックスを刺激する人間から、距離を取っている。モテる奴、押しの強い奴、話のうまい奴。

いいように使われているように感じるが、彼らにしてみたら、そんな意識もないんだろう。無理して仲良くするのも疲れるし、彼らのように生きることもできないだろう。諦めることを許してもらえるだろうか。

無題

本当は嫉妬深いんじゃないの? 本当は周りの人と比べてるんじゃないの? なんでそんなに比べるの? 誰と競ってるの? お母さんと比べてるの? 我慢して耐えられなくなって爆発するんだ。 やめちゃえよ全部。 意味ないよ。 誰に好かれたいの?